ことばとき(araireika)

捻り捩じった羅列・流れの一音にどれだけの意味が混められるか

アイボリーの椅子

やっぱり微笑っている、ヒト。
肩が震えたあとで/羽根が生え落ちたときに/ここに滑り込んだのだと。
閉苑間近の映画館の待合室のゆったりとしたソファーで(今震えている。)
冷ややかな水族館で/賑やかなネットスーパーで。黙って。私を私として、
受け入れてくれるからそれだけで好きでありました。
 
さざなみにたうたう、なら、こちら側に奔り過ぎませんようにと、足も指もない口だけの雑想が手まねいています。タマシイを置き去りにして私は私を求めて歩いています。まわりからヒトもビルも山も土も置き忘れてしまえば、私は私として私を認識できなくなるのでしょう。
 
瞳に映るわがままな手、泥臭い足、白くブヨ付いた躰を水底から引き上げる瞬間、漏れ出した嗚咽が、そのうちがわから垂れ流した啼泣になりました。 だれも振り向かないし通り過ぎていくばかりで、擦り抜けていく光も闇も、灯花した甘さで、頬に手を置いて肘をついて、ぼんやりとみているだけなのです。
 
スプラッタ栄華の幕間にある、この無声劇の感激、いまピンホールカメラの風切り音(みみもとで囁く)目眩が引き起こした白昼夢に。 体ごと引きづられ ほらそういったオヤスミなら誰も咎めないもので 堅い長椅子に随分座り、そこに(あいぼりーが)ただそこにあり、蟻でも潰してやろうかと認めている。
 
居るのだろうと思っていれば、それで好いのだろうと深く沈み込む。長々、烙印を背に、ひとり粉クソにウケている。さみしいヒトが、個々に、たくさんいらっしゃる、ところだ。